ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。毎週月曜日21時更新です。その他のタイミングでも時々更新します。

ブログ、Twitter、Instagramとの付き合い方

このブログを始めて1年と9ヶ月が経った。この間実は水面下でTwitterとInstagramも始め、ここで載せてる絵や文章を投稿したり投稿しなかったりしてきた。

フォロワー数は0に等しい数値からほとんど増減無く、しかしそれでもやっぱりイイネ!をもらえると嬉しいのでなんとなくそれを目的に、フォロワー数も増えたらいいなーなんて思いながらやってきた。

特にこの3ヶ月ぐらいはなるべく「映え」るように、漫画を中心に力を入れてきた。だけどイイネの数もフォロワー数も横ばいで(むしろ減った…)、もっと更新頻度を高めないといけないのか、やっぱり皆やってるように毎日更新ぐらいの勢いでやらなきゃいかんのか…、なんてことを考え始めた時にふと、SNSをしていて皆がとっくにぶち当たっているであろう疑問に初めて行き着いた。このあたり僕はどうにもズブい。人が当たり前やんけと思っていることに2、3周遅れで到達する。


例えば投稿に一生懸命になってイイネの数やフォロワー数がたくさん増えたとして、それが一体何になるんだろうか?有名になるんだろうか?お金がガッポガッポ入ってくるんだろうか?
僕の未来はそんな風にはならないと思った。

僕はそもそもイイネ!が欲しかったのか?フォロワー数を増やしたかったのか?
いやいやちょっと待ってくれ。そうじゃない。僕は児童小説にしろ漫画にしろ絵本にしろ「作品」が作りたかったのだ。僕にとってはそれが本筋で、ブログやTwitter、Instagramはあくまでおまけだったはずだ。

音楽を作らないでひたすらTwitterでつぶやくだけのミュージシャンがどこにいる?絵を描かないでただ映える写真をアップするだけの画家がどこに?
それはあくまで本業こなした上での余韻みたいなものだろう。

わずかばかりの虚栄心をエサに踊らされ、道を見失いおって、このうつけ者がっ!生兵法とはそちのことを言うのじゃっ!!

実際新美南吉賞に応募してから全然作品書いてないじゃん、君。絵本にも着手すると言いながら何もしてないし。着手するする詐欺じゃん。おかげで共同制作者であるはずの嫁さん暇そうじゃん。


僕にとってのブログやTwitterやInstagramは本当にやりたいことの副産物でおまけで、悪い言い方をすれば暇つぶしなんだ。心の安息所と言ってもいい。それはあくまで一時の安息を得る場所であって、そこに永住するわけではない。そこにずっといると心地いいけど、永住するには世界が狭すぎる。限界が低い。
旅を志す者がぬるま湯に浸かりっぱなしで、しかもその中で名声勝ち得ることを考えてどうするよ。その時点で骨抜きにされて頭おかしくなってんじゃねーか。

主と従をごっちゃにしてひっくり返してしまうと人生を過つ。僕の目的地はここではない。

そういうわけで僕はまた旅に出ることにする。旅に出て一旗上げりゃ、安息所でも大人気って、そういう寸法になってたらいいなーとか邪な気持ちも大いにある。すなわち、邪な旅に出る。


これから作品作りに再び励みますが、ここには今まで通り週一で必ず帰るようにします。すなわち、月曜日の、この時間に。邪な僕を待っててくれる酔狂な人もいるかもしれないから。

ブログだけは安息所でありながら基地でもあるような、そんな気がしている。

灯しびとの集い

11月9日、大阪は堺で開催されるクラフトフェア「灯しびとの集い」に行ってきた。
同イベントは陶芸、木工、ガラス、金属、布などの作家さんが全国各地から多数集まり、自ら作ったものを自ら展示し、自ら売るという、とってもユニークなイベントである。
tomoshibito.org

出展者の数は実に100人。応募総数は600人ほどであったというから出展者は6倍の競争を経てイベントに参加している。有名な人もいれば、新進気鋭の方もいて、このイベントには多くのギャラリーが作家のハントにやってくるのだという。

その出展者の選考に僕の友人の木工作家が受かった(苔むす木工:東京都)。僕はそれまでそんなイベントが堺で行われていることも知らなかったが、その友人から来て欲しいと便りがあり、嫁さんも器を扱う仕事をしているので一緒に行ってみることにした。


当日は素晴らしい快晴だった。
JR阪和線百舌駅で電車を降り、世界遺産となった仁徳天皇陵の脇を通って大仙公園に入る。なんともすごい場所でやるイベントだ。
会場に着くと芝生の上に大量のテントが並んでいてその数にビックリした。こんなに多くの作家さんと直接やりとりできるイベントが大阪であったなんて。僕は会場に着くまで100人もの作家さんが参加しているということを知らなかった。

あまりのテントの数に友人がどこにいるかもわからず、端から順番にお店を見ていくことにした。お客さんの数もものすごい。そのため少し歩きにくいが一店一店見て回るのに変に緊張しないくていい。どのお店にも必ず誰かお客さんがいるからだ。店主と1対1、みたいな張り詰めた空気感にならない。野外のテントで開放的だし、それに接客慣れしていない作家さん自身がお店に立ってモノを売っている姿もすごく安心感があった。

嫁さんは器がとても好きなので、「あ、この人知ってる!」と言っては次々にテントの中に入っていく。僕もつられて入る。僕は器のことは全く詳しくないが、色や形や質感が作る人によってこんなにも変わるものなのかと改めて思った。
やたら人気の人もいて、僕らが行ったのは14時頃だったが、売れすぎてその時点で棚にほぼ商品がのってないお店もあった。
人をひきつけるもの、そうでないもの、一体何が違うんだろうか。

端の方にあった靴屋さんには僕も嫁さんもひきつけられて、嫁さんは皮靴を試着させてもらった。似合っていたが、値段が6万ということで、すぐに手が出せる金額ではなかった。いつか買えたら、と作家さんの名刺をもらって、嫁さんは連絡先を伝えていた。目の前にこれを作った人がいる、という事実だけで展示されているモノがとても素敵に見える。


僕の友人はテント群の真ん中あたりにいた。たくさんお客さんが入って盛況のようである。しばらく僕らに気づかないほどであった。
少し立ち話をして「景気はどうか」と聞いてみるとなかなかどうして悪くないようである。確かに木工の作家さんはお皿やフォークなど食器を作っている人がほとんどで、友人のように木のオブジェを作って展示してるお店は他には見当たらなかった。きっとお客さんの目を引いたに違いない。
それに友人の作るモノ自体もユニークで可愛らしいし、前見せてもらった時よりも種類がたくさん増えていて見ているだけで飽きない。あれがいいこれがいいなどと嫁さんと言い合って、その後友人と夜に飲む約束をしてその場を離れた。


展示をザッと一周見て回るのに1時間と少しかかったであろうか。僕にはモノ作りをしている作家さんがまぶしく見えてしょうがなかった。「これが俺の作ったモノだ」と実物を目の前に出せるのがうらやましかった。文章はそうはいかない。実物を目の前に出せと言われて出せるのはただの文字の羅列だ。「モノ」として見ると、そんなものに価値もくそもない。
薄々感じていた文章を書く人の「モノ(実物)がない」という脆弱さ、心細さみたいなものを灯しびとの集いに行ってより強く感じた。物書きも学校の先生も、どこまでいっても虚業なのだ。


もう一つ印象的だったのは灯しびとの集いに参加している作家の方が見る人見る人ことごとく若かったことだ。陶芸家てのは漫画『美味しんぼ』に出てくる唐山陶人みたいなおじいさんばかりだと思っていた。どっこいそんな人はほとんどおらず(多少はいた)、陶芸に限らず木工の人も金属の人も軒並み若かった。

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こんな感じの人はあまりいなかった。
しかも、なんだか溌剌としていてさわやかでスリムで理知的で、端的にイケメンが多かった。覚悟を決めて自分のやりたいことやってる人って皆あんな感じになるんだろうか。
『耳をすませば』の大ファンの僕が、灯しびとに集う作家さんと天沢聖司君の姿を重ね会わせたのは言うまでもない。作家さんたちは皆、聖司君の成長した姿だ。
僕もあんな風になりたい。


灯しびとの集いから色々な刺激をもらって帰路につく。

夜には打ち上げ的に友人と飲んだ。「来て良かった」とビールを飲みながら彼は始終微笑んでいた。

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皆、何かで闘っている。






↓この日記に出てきた木工作家の友人のサイトです。良ければ見てみて下さい。
www.kokemoku.com

社会科教科会議

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それは救うつもりなのか、それとも殺すつもりなのか。
そうして「できる」というまやかしを生徒に与え続け、実際には何一つできず「管理される」能力にだけ長けた廃人同様の人間を育む。友情ごっこ、勉強ごっこの果てに獲得するものは自分に対するおぞましいほどの勘違いだ。

もう学校は人間の成長に望みをかける場所ではなくなってしまった。教育の標榜する「生きる力」を最も効果的な形で減衰させてるのが学校ではないか。

先生も生徒も協力しあって、抱き合って沈みゆく船に乗り続けている。そこにいれば絶対安全だという幻想を抱き続けて。

そのことに気づいて自ら船を下り、海を渡り始めた者だけが「生きて」いくことができる。

自分の船を作るがいい。
早々に海に出てしまうがいい。
そうしなければ海を渡る力は得られない。
学校の中にいるだけでは。

沈みゆく船の中で死なないことをじっと願っているだけでは。

創作上の悩み事

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なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのか。
「文字ちっさくて読みづれぇ!」
てことは友人からずっと言われてて、一応頑張って大きくていねいに書いてたつもりだけど、それでもやっぱり読みにくかった。でも大した問題だとは思っていなかった。

嫁さんから「せっかく面白いのにもったいない」と言われて初めて、確かに文字がゴチャゴチャっとしてる漫画を読もうとは思わんな、と自分の考えを改めた。文字の問題は初見で読んでもらえるかどうかを決めるとても重要な問題だったのだ。

これからは1ページ最大でも6コマまでにして、できる限り大きくていねいに字を書こうと思います。