ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。毎週月曜日21時更新です。その他のタイミングでも時々更新します。

禁煙(絶煙)の方法

日記帳を始めるにあたって、色々とやっておいた方がいいことがあるらしく、グーグルアナリティクスとかいうのと、ウェブマスターとかいうのと、二つの設定だけで昨日1日はつぶれてしまった。しかもほとんどわけがわからなくてちゃんと設定できてるのかどうか甚だ不安である。具体的にそれらが何をするものなのかもわかってはいない。が、もうそれでいい。ともかくできたものとして前に進もう。

それともう一つ、Twitterとの連携を行った。連携を行うため、ものすごく久々にTwitterを開けた。最終の更新は2010年7月。もはや化石じゃないか……ひどい状態のままアカウントは残っていた。
もともとはタバコをやめるために、自分を励ますためにTwitterを始めた。結果としてその試みは二週間も保たなかったんじゃないか。タバコを再開するとともにTwitterもやめちゃったのだと思う。何せ8年も前のことだからよく覚えていない。

8年経った今はタバコはやめてしまって吸っていない。最後に吸ったのはいつだろう? 
それも覚えていないな。多分5年か6年前のいつかだったんじゃないだろうか。いやもしかしたら7年前か。まあ、そんなことはどうでもいい。もう吸うことはないのだから。というか吸うとか吸わないとか、それすらもどうでもいい。タバコのことが1日を過ごす中で意識の上にのぼってこないのだ。何故といって興味がないからだ。かつて僕の友人が
「人間関係を築く上で一番まずいのは、その人間が嫌い、ということではなく、その人間に興味がない、ということだ」
とのたまっておったが、まさにそういう状態だ。タバコをもともと吸わない人間はタバコのことをわざわざ一日の中で考えたりしない。
タバコに関しては興味がないし、タバコの臭い、いや正確にはタバコの煙を大量に吸い込んだ衣服や髪の毛の臭いは嫌いだ(タバコの煙の匂い自体は割と好き)。
このため居酒屋から帰って、風呂にちゃんと入ってから寝るようになった。臭い髪の毛で神聖な枕を汚したくないからだ。この習慣は嫁さんも喜んでくれていると思う。
あと個人的に、アイコスの煙自体は無臭でいいのだが、その吸いがらには嫌悪を通り越して腹立ちさえ覚える。なんでそんなに臭いねん!と。足の臭い奴の、Maxに臭い足の臭いがする。

タバコをやめる方法はあまたあると思うが、僕の場合は最終的に根性だった。もちろん色んな方法を試した。ニコチンガム、禁煙パッチ、禁煙本……しかしどれもダメだった。当時は1ヶ月に1回、いや2週間に1回は陰に陽に禁煙を試みていた。失敗して、また次の日(いやもっと言えばその日中)に禁煙を始めることもあった。禁煙の試行回数としては優に200回を超えるだろう。ほとんど禁煙ノイローゼに近かったと思う。その中で2、3週間もったのは多分1回か2回だ。1ヶ月禁煙に成功、となると皆無だった。ひどいときには友人にやめると宣言した15分後にその友だちからタバコをもらっていた。タバコを友達に吸ってもらって、それを肺に入れずに僕に吹きかけてもらい、それを僕が吸い込むこともあった。もはや意味が分からない。禁煙なのかそれは。

が、結果として考えてみればどの禁煙の試みも無駄ではなかった。その経験があったからこそタバコをやめられたのだ。
タバコを何度やめようと思ってもやめられない。でもやめたい。どうしてもやめられない。なぜやめられない。何故だ!? 苦しい、苦しい!
その200回以上に及ぶ葛藤がなければ僕は絶対にタバコをやめられなかった。今こうして余裕ぶっこいてタバコをやめた経緯について語ることもなかったろう。

いつ、どうしてだったかは覚えていない。もしかしたら風邪とか家の事情とかそんなことだったかもしれない。ともかくタバコを1ヶ月吸わないことに初めて成功した時があった。その時にここだと思った。奇跡のチャンスが舞い降りたのだと。ここで本当にやめなければ絶対にやめられないと。200回の失敗の先にようやく到達できた1ヶ月なのだ。この1回に200回の失敗の重みが全てかかってると思った。当然その後も吸いたくなることはあったけど、その度に200回の苦しみを思った。そうしたら吸えなくなった。また同じことが繰り返されるのは嫌だと思った。あんなしんどい思いをするのは二度とゴメンだ。

僕のタバコのやめかたとしてはこんな感じだった。それから半年だか一年だか経つともうタバコのことを考えなくなった。二年くらいたったときに、たまたまタバコを吸わない友人がどこか南の国に旅行に行ってタバコを買ってきた。その時集まっていた4、5人は一様にタバコを吸わない連中で、一度この外国産のタバコがどんなものか、皆で吸ってみようということになった。僕は怖かった。また喫煙者に戻ってしまうんじゃないかと思った。それでも場の空気に流されてタバコを口に加えて大きく吸い込んだ。むせ込んで吸えたものではなかった。一服しただけですぐ隣の友人にタバコを渡した。そんなことがあって、どうなるか不安だったけど、それ以後もタバコを吸いたくなることはなかった。その時に、ああ、俺は本当にタバコやめられたんだな、と実感した。

「タバコをやめる」と「禁煙」は違う、と何かの禁煙本に書いてあったと思うがまさにその通りだと思う。それは本人の意識の問題だが、禁じられてると思っているか、やめたしもうイラネ、と思っているかは天と地、月とスッポン、神ゲーとクソゲーぐらい違う。禁じられてる(禁じている)と思っている限りその人はタバコの呪縛からは逃れられないだろう。
だから本当は、禁煙ではなく、絶煙(絶縁)と言う方が正しいのではないかな。ん? これももしかしたらどこかの禁煙本に書いてあっただろうか?

タバコをすっとやめられる人もいれば、僕みたいにジタバタしまくってやめることのできる人もいる。だけど諦めなければいつかやめられるのではないかな、と個人的には思う。現在は臭いのしないタバコなど、タバコを吸っててもよい言い訳を自分自身にできるようになってしまったから(プルームテックはすごい、本当に何の臭いもしない)、よりやめづらい環境にあるとは思うが……。
タバコをやめることは、僕には大変な労力と精神力を要求するものだった。そんなに簡単にやめられるものではない。そんなに簡単にやめられるのなら周りのタバコを吸い続けている友人はとうの昔にやめてるだろう。僕の周りではタバコをやめられない人間の方が圧倒的大多数だ。それも満足して吸っているのではない。ほとんどはやめられないから、手を変え品を変え仕方なく吸い続けている。その友人に向かって、タバコをやめるのは簡単だ、などと口が裂けても言えない。簡単に手に入るものは簡単に失ってしまう。禁煙外来や禁煙パッチでやめられない人が多いのもそのためではないだろうか。

タバコをやめた僕がタバコをやめるために必要だと思うもの、それは失敗の経験(それも本気の失敗)と、最終的には根性だ。