ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。毎週月曜日21時更新です。その他のタイミングでも時々更新します。

"O,Sancta simplicitas"

タイトルはキリスト教宗教改革の先駆けとなったフスの最後の言葉である。フスはコンスタンツ宗教会議に呼び出され、異端者として火刑に処された。
言葉の意味は「おぉ、神聖なる単純よ」。
ローマ教皇が権力をふるう時代、ローマ教皇ではなくキリストに信仰の源を求めたフスは、何故自らの説が異端とされなければならないのか、訳がわからなかったであろう。複雑にこんがらがったキリスト教会の階層制度を捨て、キリストの言説に戻ろう!なんと簡単で単純な話ではないか。しかし複雑なシステムにからめとられた人間には分かってもらえなかった。そこに単純ということの神性を見たのかもしれない。

授業でフスのことをやって以来、何故だかこの言葉が僕の心に引っかかってしばらくの間残っていた。いまわの際に吐いたこのフスの言葉に共感を覚えたからであろう。
神の造形物は常にシンプルだ。人間がそれをいじくり回して複雑怪奇にする。
あるいは人間の造りだす最初のもの(オリジナル)もシンプルだ。それらからは神に近い普遍性を感じる。しかしオリジナルであったものも時間と共にこねくり回され、複雑怪奇になる。まるでそうしてしまうのが人間のどうしようもない悲しい性であるかのように。
「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」ルソーのエミール冒頭の言葉だ。

しかし複雑にこんがらがってしまったものを打破するのもまたシンプルなものだ。桶狭間の信長も、ココ・シャネルの服も、時代を打ち破ったシンプルではなかったか。見渡せば似たような例は、いくつも見つけることができる。

シンプルなものは原初の香り(神性)に満ち満ちている。時間と共に頑迷の渦に巻き込まれた悲しき人間がそれを懐かしく思うとき、シンプルな言葉や行動や芸術が時代を打破するのかもしれない。

シンプル(神性)⇔複雑(人間性)、故に人間にとって一番難しいことは「シンプルである」ことだ、というのは暴論が過ぎるか。しかし一番単純なことが一番難しいということもある。絵も複雑になれば簡単になる、単純になれば難しくなる。
僕もできればシンプルな話を作りたい、シンプルな絵を描きたい。しかしなかなかそれはできることではない。シンプルなものが人の心を打つには、それこそ神に魅入られなければならない。
今日はそんなことを少し考えた。

この文章もまたシンプルかどうか。