ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。毎週月曜日21時更新です。その他のタイミングでも時々更新します。

琵琶湖をロードバイクで一周した

これはかつて僕が自転車乗りだったときの日記。日付は2011年5月。



誰が言い出したのかはわからないが、去年の無人島帰りから、自転車で琵琶湖を一周しようという計画が僕と、友人の伊藤氏(いとちゃん)と無人島で知り合った中村のたっちゃんの間で持ち上がっていた。

年始に走ろうかという話もあったが、誰も実際にプランを立てて実行に移そうとするものはなく、月日は流れ流れて5月。
良い季節になったのでそろそろ本当にいこうじゃないか、ということで僕たちは真面目に計画を立て始めた。

が、皆の都合がなかなか合わず、どうもゆっくりと観光しながら琵琶湖を周れる雰囲気ではない上に、琵琶湖までの交通手段も、うちの車が使えず自転車で行くほかない状況であることが判明した。

以上の点を踏まえての実際の計画はこうである。


5月8日25時(すなわち9日のAM1:00)蒲生4丁目に集合そして出発。

1号線を北上し、9日のAM7:00琵琶湖のほとり(大津)に到着。

30分ほどで朝飯を済ませ、「睡眠をとらずに」一周開始。

いわゆる琵琶湖一周(北湖一周150km)を休憩を入れつつも「睡眠をとらずに」12時間以内に完走。

PM8:00雄琴温泉の旅館にチェックイン。

10日は曇り時々雨なので時々する前に帰宅。いとちゃんがお昼から仕事なのでそれまでに絶対に帰宅。

という、普段「琵琶湖一周」と聞いて皆が連想する和やかな、まったりとしたイメージとはかけ離れた、スパルタな、むしろ魁男塾的な内容のツーリング計画となった。


その日は朝から用事があり、夜少し寝てから行こうと思ってたものの、実家に荷物を運びこまねばならない用ができ、結局仮眠をとることが出来ずに8日25時(9日AM1:00)いちとちゃんの店に到着。
それから、さあ出発!とはならずに近くの店が周年なので少しだけ行こうという話になった。
ビール2杯をいとちゃんに御馳走になり、ハイオク満タン入ったAM2時過ぎにいざ出発!

先頭交代しながら25km/hぐらいの速度でゆっくり行こう、と初めに言ってたのは何だったのか。ビールが入ってテンションが高まっているのか、初めに先頭を引くたっちゃんのペースが速い。
30km/h~33km/hぐらいのペースでガンガン踏んでいく。
おまけに先頭を引く時間が長い。
15~20分ぐらい引いたところでようやく交代となった。

そんな感じの幕開けだったもので、その後先頭を引く僕たちのペースも必然的に速く、そして先頭を引く時間も長くなる。
初めの休憩をとったのが枚方のコンビニではなかったかと思うのだが、それまでの巡航速度は30km/hを割ることはなく、これからまだ200km以上を走ろうかという者にとって尋常ではないペースだった。
そしてこの休憩をとる少し前からたっちゃんの様子が少しおかしくなる。
僕やいとちゃんが楽に登れる坂で随分と遅れ始めるようになったのだ。

そういうこともあって、その休憩からは本当に時速25kmぐらいで行こう、となった。
ちなみにこの休憩の際、皆が1本目のレッドブルを入れている。

走り始めて多分2時間ぐらいで京都は八幡に入った。
なかなか良いペースだ。
ルートとしては五条まで出て山科を抜けるルートを取ることになった。

それまで順調に来ていた僕の自転車も、京都五条で道路の継ぎ目に乗り上げた際、サドルの角度がパコーンという音と共に変わるトラブルに見舞われた。
サドル前部が僕の急所をもろに直撃するという非常に男性的な乗り味のサドル角度になってしまったため、近くのコンビニにて休憩がてらせっせと直した。
お腹が空いたのでここで皆おにぎりを食べることにする。
空はもう白み始めていた。

さて、ここから山科越えである。
坂としては急ではないが、かなりダラダラと登らされる印象の強い坂だった。
僕は時々、生駒の十三峠をおもしろがって自転車で登っていたので、山科越えはそんなにつらいとは思わなかった。
しかし、ここでいとちゃんは太ももが攣り、たっちゃんは自転車を押していた。
いとちゃん曰く、アクエリアスを飲んでから一気にこの太ももの攣りが無くなったそうである。
以後、僕もアクエリアスを買って飲むことにした。

山科の下り、その日最高の時速66,6kmをマーク。
早朝の風がとても気持ちよかった。
それからも登ったり降ったりを繰り返して、大津の琵琶湖のほとりについたのは多分AM7時前ぐらいだろうか。

感激するのもつかの間、しばらくそこでのんびりしていると、皆眠気に襲われ始めた。
寝るにしろ寝ないにしろ、とりあえずそこから一周の開始地点である堅田の琵琶湖大橋まで行こうということになったが、たっちゃんの憔悴具合がひどい。
僕の後ろを走っていて障害物に気づかず、乗り上げてしまうほど疲れ切っていた。
いとちゃんが前、たっちゃんを真ん中に、僕が後ろで励ましながら行くという格好で走るも、時速は20kmにも満たない。

琵琶湖大橋についたのが、AM7時半頃。
橋の根元にあるマクドナルドで朝食をとることにしたが、僕の横でご飯を食べているたっちゃんの顔にもはや生気がなかった。

たっちゃんはもう、明らかに心が折れているようだったので、これからどうしたいか、その意志を確認する。
どう考えてもこれから150kmは行けない、この琵琶湖大橋のほとりで僕といとちゃんを待つ、
との答えであった。

これから一周開始というところまで来てのたっちゃんのリタイヤは僕たちにもつらかったが、本人はもっとつらかったであろう。

しかし、ここまで来て僕もいとちゃんもおめおめと引き返すわけには行かない。
目の前には琵琶湖があるのだ。
ここに来た目的はこれからにあるのだ。
ここで引き下がるのは敵前逃亡にも等しい。

たっちゃんには悪かったが、僕といとちゃんは彼を残して出発することにした。

AM8時、その日2本目のレッドブルを入れ終わった僕たち2人は琵琶湖大橋を渡り始めた。
12時間以内に戻ってくるとたっちゃんに約束して。

琵琶湖大橋を渡るとすぐにサイクリングロードがあって、しばらくは琵琶湖沿いをずっと走った。
確か長命寺方面へ行く道が出てきたところで分岐があって、そこで初めて湖岸沿いを離れたような記憶がある。
以後はひたすら田園風景になった。

僕といとちゃんは5分程の間隔で先頭交代しながら時速25km程で走り続けた。
ところどころ松ぼっくりが地雷のようにしこたま落ちてあってそれも巧みによけながら進む。
レッドブルがビンビンに効いているのだろう。
徹夜で走っているわけだが眠気も疲れも感じないし、特に会話もなく自転車をこいでいるだけなのにやたら楽しい。
天気も良くて本当に気持ちよかった。
この時は後半の地獄を想像することはできなかった。

彦根に入ってすぐにコンビニがあったのでそこで小休止。その際せっかくだから彦根城に行こうという話になった。
ちなみにこの時2人とも3本目のレッドブルを体内に入れ、いとちゃんは冷えピタを体中に張りまくっていた。
この辺からコンビニ=レッドブル+アクエリアスの補給所という観念が僕と伊藤氏の間で一般化してくる。

AM10時過ぎ、彦根城に到着。
売店でアイスを食べ、ひこにゃんグッズを物色するもいまいちめぼしいものが見つからず、城内へ。
彦根城はこれまで行ったことがなかったが、天守へ行くまでの石段が結構ハードで疲れた足にさらに追い打ちをかける。
琵琶湖一周の寄り道ポイントに彦根城が設定されているのは罠だったのか、さらに天守の中の階段も勾配がエグい。
その、階段にするより梯子にした方がよっぽど安全ではないのかと思える階段を登り最上階へ。
ひこにゃんに会えることを期待していたのだが、ひこにゃんは天守のどこにも居なかった。
考えてみれば天守にいるのは危ないか。
というより観光客の少ない平日にはひこにゃんは居てないのだろうか。

こうしてひこにゃんに会えず、失意のもと僕たちは11時半頃彦根城を後にした。
そしてこの前後でいとちゃんが初めて前を引っ張ってもらう意味(ドラフティング効果)を頭ではなく、体で理解したらしい。
それじゃあ今まで僕が先頭の時空気抵抗ガンガンで走ってたんですね伊藤さん……

さて、そろそろ昼飯を食おうかという時間になった。
彦根の次のポイントは長浜である。
長浜と言えば長浜ラーメンっしょ!
僕たちは長浜駅周辺でラーメン屋を探すも全く見つからない。どういうことだこれは!?
しょうがないので道行く人に聞いてみたところ、長浜は長浜でも、長浜ラーメンの長浜は九州の方であると判明した。
私達もう帰るから、ということで長浜周辺のお食事処マップをその道を聞いた方達からもらった。
その方達は名古屋から来ていたおばさん2人組であった。
名古屋から来ている人に長浜のこと教えてもらう僕たちって一体…

仕切り直して、何を食べるか考えることにした。
体が疲れているのかあっさりしたものは食いたくない、こってりしたものを、というスローガンのもと、近くの洋食屋さんに行くことに決定。
ハンバーグと、トンカツとご飯とみそ汁と、コーヒーがついて820円のランチセットを頼んだ。
伊藤氏はしばらく悩みたい風であったが、店のおばちゃんがランチセット以外は断固拒否する体の雰囲気をガンガンに出していたので、やむなくランチセットを頼んでいた。
待ちに待ったランチセットが来て、おいしくいただき始めたのだが、食べている途中からお互い急激に眠くなってきた。
相手が何かをしゃべって、聞いてる方も生返事を返すのだが、その実何も聞いてはいない。
そもそも、しゃべってる本人が何をしゃべっているのかあまり認識できていない。
これはさすがにレッドブルでもいかんとも出来ないだろう、ということで
昼飯後しばらく仮眠をとることにした。

長浜に国立公園っぽいのがあって、そこで寝ようかと話していたのだが、あまりに綺麗で僕たちみたいなどビチクソが入るべき雰囲気ではなかったため、湖岸沿いをしばらく走り、ベンチを探すことにした。
木之本方面へ向けて走っているとちょうど湖岸沿いに木の葉が日光を遮って陰になっているベンチを発見。
そこで13時45分~14時45分まで1時間の仮眠をとることにした。

ベンチで横になったかと思うと、次の瞬間には携帯のアラームが鳴っていた。
お互い20秒以内には睡眠に入っていたのではなかろうか。

しかし、1時間睡眠をとるだけで、ずいぶんと違う。
気分爽快で再び走り始めた。
体はまだ眠っていたのかそれとも如実に疲れが来ているのか、走り始めた時は重く感じたが、それも30分もこぐと徐々に慣れてきた。

木之本に入り、賤ヶ岳トンネルと藤ヶ崎トンネルの2つのトンネルを回避。
この2つのトンネルは自転車が通行するにはあまりに危険であるとの情報を事前にキャッチしていたためだ。
藤ヶ崎トンネルを回避した先にある湖岸沿いの道が、一周の中で琵琶湖を最も美しいと感じた場所であった。
ちなみにここら辺で琵琶湖でボートに乗った人達(カップル)に手を振ってみたのだが、完全に無視され、まるで僕たちは猿回しの猿のような恰好になった。
そういうコミュニケーションがあってもよいのではないのか、と伊藤氏と共に憤慨しながら塩津浜のコンビニで休憩を入れる。
恐らく16時過ぎだったのではないかと思う。
そしてもちろんレッドブルを体内に充填する。
タイムリミットは後4時間。折り返し地点は過ぎて、もうひと踏ん張り。

この後もう一つのトンネル(岩熊トンネル)を抜けながら山登り。トンネル内を延々と登っていたためか、途中から下りに入っているのに、視覚から入る情報は登りに見えていて、自転車をこいでいないのに感覚としては勝手に山に登っていくという妙な感じだった。
山を降りてしばらくいったところで休憩したのではないだろうか。
場所としては今津あたりになるかと思う。
このあたりから疲れがきていて、記憶も曖昧になる。
その休憩でまたもやレッドブルを体内に入れる。
何本目のレッドブルかわからない。
もうドーピング無しには走れる気がしなかった。

大津まであと50kmを切った。
ここが地獄の入り口だった。

この後は湖岸沿いを走ることになるのだが、まともな状態であればその景色を楽しむこともできたのだろう。
しかしその日だけでもう200km以上走っている。景色が同じ過ぎて進んでいる気がせず、逆につらかった。
とにかく、何もない風景→1級河川→何もない風景→1級河川、のエンドレスループである。
1級河川どんだけあるねん、というようなやり取りもあったのかなかったのか……
そしてこの辺りから先頭交代はなくなり、僕がずっと時速25kmを守って前を引くようになったが、いとちゃんがそれにも徐々についてこれなくなった。
ペースを落としていとちゃんと一緒に走る。

走っていると大津まであと~kmという表示が出るのだが、その表示が絶望的なぐらい進まない。
辺りは暗くなり始め、体にも疲れがかなり来ていた。
手首、腕、肩、腰、太もも、ふくらはぎ、首、背中、お尻、キンタマ…具体的に言うと体の部位で痛くないところがないという具合である。
ロードバイクは楽にスピードが出せる乗り物だと通常思われている。
それは確かにその通りなのだが、しかし、僕のロードバイクに対する印象は少し違う。
どちらかと言うと、スピードを出さざるを得ない乗り物である。
そのためにどんなポジションをとっても、全身の筋肉を酷使するよう設計されている。
だから、どれだけ楽にこぎたくても、楽できないのである。
ゆっくりこぐと、かえって疲れてしまう。
この点、ロードバイクに乗ってからママチャリに乗るとその楽さ加減、その素晴らしさにびっくりする。

湖岸沿いをずっと行くと途中大きな道路と合流し、それからしばらくして左手に琵琶湖の中に浮かぶ大きな鳥居を発見する。
あれは何なのかと思いつつ、僕もいとちゃんも、もうそれについて話す気力がない。
とにかくペダルを回すことにしか、頭が働かない。
それからかなりこいでもう大津までもう20kmを切っているんじゃないかと思われる時に大津まであと38kmと出た時にはゲロがでそうになった。
しかし、その表示が出て間もなく(だった気がする)、大津市に入ったことを示す看板を通過した。してみるとあの大津まであと~kmというのは大津の中心地までの距離を示すものだったのだろうか。

伊藤氏と喜びを分かち合っていると左手にコンビニが見えてきた。
そのコンビニで最後の休憩、かつ最後のレッドブルを入れる。
恐らく19時前後だったのではないか。
さらに腹が随分と減ったのでおにぎりを食べる。
僕は納豆巻きをチョイスした。
ここでおにぎりを食べたのが功を奏したのか、その後少し元気になる。
やはり固形物を摂るということは重要なことのようだ。

15分程休憩して、再出発。
ゴールに向けてラストスパートだ。
ここからは道がかなり狭く、おまけに街灯もほぼなくて道は真っ暗、さらにでかいトラックもバンバン通るのでかなり怖かった。
いとちゃんが後方でトラックに轢かれてないことを時折確認しつつペダルを回す。
回して回して、回しまくっていると琵琶湖の左前方に光る何かを発見した。
琵琶湖大橋だ。
真っ暗な道を走り続けた後、この光を見つけたときには本当に嬉しかったし同時に安心した。

やった、やりきったのだ俺たちは。
ペダルを踏む力も強くなる。
最後はツールでステージ優勝を果たした選手のように、両手を挙げ天を仰ぎながらゴールを決めた。
時計を見ると19時50分。
12時間以内に琵琶湖一周を完走、という目標を見事達成。
家を出てからの走行距離253km。

20歳を越えてから、体を酷使して何かの目標を達成するということを随分長いことしてこなかったせいだろう。後半は本当にきつくて、無理なんじゃないか、という不安もあったため、ゴールした時はちょっと尋常じゃないぐらい嬉しかった。
そして一人で走ってもきっとこれほどの喜びは感じられなかったのではないだろうか。
いとちゃんと共に困難を乗り越えて走り切ったからこそ、それだけ嬉しく、また充実感溢れる琵琶湖一周となったのだ。

しばらく琵琶湖大橋の交差点で休んだ後、僕たち2人は雄琴温泉の宿へ向かった。
先に宿についているたっちゃんに電話して、具体的な場所を聞く。
電話で聞いた通りに進んでいくと、斜度30パーセントぐらいある壁のような坂が待ち受けていた。
これだけ走った後にこんな拷問が待ち受けていようとは思わない僕たち二人は、その馬鹿げた坂に愕然としながらも、ひーこら言いながら自転車を押して登った。
到着後すぐに風呂に入り、タクシーを呼びつけて3人で中華を食べに行く。
その後は夜遊びも酒を飲み明かすことも、何もせずに寝た。
もう寝ることしかできなかった。

翌朝7時半に起きると外は晴れている。
たっちゃんは膝を壊したため、彼の兄に車で迎えに来てもらうことになっていたので最後に3人でモーニングを食べようということになった。
が、近くにあった喫茶店は火曜日定休で、そうこうしてるうちに天気は急変して雨がぱらついてきたのでコンビニで朝食を済ませることにした。
もちろんここでもレッドブルを体内に注入。
僕と伊藤氏の血液の80%はレッドブルでできている、そんな殺し文句が似合うほど昨日一日で僕たち2人は見事なレッドブルジャンキーになっていた。
コンビニ前で軽くご飯を済ませると、たっちゃんの兄が到着し、天気は小雨から大雨へ。
いや、大雨から嵐へ。
まるで僕たち2人が帰ることを拒むような暴風雨になっていく。
仕方なくコンビニでカッパを購入。
カッパ着用後たっちゃん、そして彼の兄と別れを告げて僕たち2人は自転車で出発した。

大津の競艇所あたりまでは、まるで川を遡上する鮭のようだった。
雨がすごすぎて、視界が遮られる。
それでも山科に向かう頃には随分とマシになっていた。

帰りについては特筆すべきことはない。
とにかく目標を達成した後はさっさと帰りたかった。
雄琴を出たのが9時前、蒲生4丁目についたのが12時半頃だから結構なペースで自転車をこいだのだと思う。

それからいとちゃんは仕事へ向かった。
タフな男だ。
僕はうちへ帰ってから雨に濡れてドロドロに汚れた自転車を洗い、チェーンにオイルを差し直した。
それからコンピューター見てみる。
家を出て帰ってくるまでの総走行距離312km

本当にこの自転車、そしてレッドブルがあればどこまでも行ける気がする。
次は淡路か、東京か。



最後に僕を乗せて運んでくれた自転車を載せてこのクソ長い日記を終えることにしよう。

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僕の愛車GIANT TCR(2011)を描いた。この自転車に185cmのでかい男が乗る。すなわち、A giant on GIANT.