ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。毎週月曜日21時更新です。その他のタイミングでも時々更新します。

習慣が人を作る

深夜にこれを書く。今2時半だ。明日は地獄の火曜日なのに何故だか眠る気が起きない。なんだったら徹夜してやろうかという意味のわからないテンションになっている。

ブログを始めてからやらなくなったことがある。それは個人の日記をつけることだ。
僕は中3の時兄貴に勧められて日記を付け始めた。書いてみると楽しくてやめられなくなった。この作業は著しく自分に向いているとその時直感したのだ。以来約20年間日記を書き続け、大学ノートに10冊ほどの分量になっている。
毎日書いているわけではない。気が向いた時に、書きたくなったときにだけ書くようにしている。それも日々のことは別段記さない。ほとんどは考えたことばかりで埋め尽くされている。時折読み返すと面白い。本当に自分が書いたのかな、と思えるぐらい素敵な文章もある。そういう文章が書ける時は大体夜の力を借りている。

気が向いた時だけ、とは言ったが、それでも1ヶ月空くということはなかった。大体2週間ぐらい空くと、そういや最近書けてないな、とふと思い出して突然書き始める。
日記をいいペースで書けている時は調子がいい時だ。間が空いた時は調子が悪いか、ゲームをやりまくっている時だ。ゲームをやりすぎて底の底まで深く潜ったあと、救いを求めるようにして日記を書く。その乱高下が僕のリズムだった。

今回1ヶ月もの間が空いたのは別にゲームをやりまくっていたわけでもなんでもなく、ブログを先にスマホで書いちゃうものだから、それで満足してしまって自然個人の日記を書かなくなったものだろうと思われる。ただ、何かしらの気持ち悪さは感じていた。
日記はいつも万年筆で書いていたが、その万年筆もインクが渇いてしまっている。今日インクを充填しながら、個人の日記を書かないのは良くないことだと思った。

中3から続けているこの作業は僕の習慣になっている。日記を付けることで僕は安定した状態になる。僕の諸々の源泉は自分の日記帳にこそあるのだ。サボれば自分の軸が無くなってしまうような気になる。僕を支えているのが日記を書く行為だというのは妙な話だ。それもこのブログではなく、誰にも決して見せない、僕だけの日記でなくてはならない。

人は何気なく、あるいは意図的に、自らの習慣を作る。しかしそれが本当の習慣と化した時、自らが習慣を作ったのか、それとも習慣が自らを作り出したのか、わからなくなる。

悪しき習慣の奴隷とならぬよう、良き習慣の友となりたい。

今日はそんなことを思った。

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絵も毎日何かしら描いている。習慣に出来たら嬉しい。出来そうな予感はしている。あんまり似てないけど絵はブルース・リー。体のラインがきれいだ。