ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。毎週月曜日21時更新です。その他のタイミングでも時々更新します。

模写に継ぐ模写に継ぐ模写

スラムダンクの模写を始めてから2ヶ月、この期間毎日必ず一体は模写するように努めてきた。

その結果として一番はっきり言えることは、上手くなったという実感ではなく、模写に飽きたということだ。多分、これ以上模写だけを続けてもほとんど意味がないと思われる。いや、そもそも2ヶ月間の模写に実力の向上という意味合いにおいて効果があったのかは甚だ疑問だ。アメリカに行ってしまった谷沢ばりに何も成長していない気がする(スラムダンク22巻)。

ただ、上手くなったという実感はないが描くのが速くなったという実感は確かにある。
気づいたこともチラホラあって、その中で印象的だったのは、どれだけ正確を期しても線は間違えるものだということだ。
だから間違えていいんだし、大枠を捉えるときは大ざっぱでいい。神経質になっても間違える、大ざっぱでも間違えるなら、さっさと描いてさっさと間違えて、間違いを訂正した方がはるかに速いし楽しい。

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最初ボールペン一発描きで模写していたが、神経質になりすぎるのでシャーペンでも描き始めた。絵は山王工業の松本。
それともう一つ、気づいたことで重大なこととしては、見て描くのは決して悪ではないということだ。僕には妙な思い込みがあって、それは「絵の上手い人は何も見ないでもありとあらゆるものを自在に描ける」というものだった。だから僕もそうならねばならないと思い続けてきたが、その必要はないと近頃思うようになった。
世の中には実際そんな芸当のできる人もいるのだと思う。だけどそれはその人がそれまで膨大な量の形を、線を描き続けてきた結果だ。あらゆるものをあらゆる角度から幾度も幾度も書き続けてきた結果、「これはこの場合こう描く」ということが頭や手にインプットされたのだ。
その境地に僕みたいな素人が一足飛びにたどり着こうなどおこがましいにも程がある。

スラムダンクの模写をしていても、これはさすがに見て描かないと無理だろうと思う絵がある。プロの人ですら見たことのないモノ、描いたことのないモノは様々な資料を参考に描いているのだ。
僕が何も見ないで色んなものを描こうとするのは、それまでスライムしか倒したことないのにいきなりハーゴンやシドーを倒せると思い込むのと同じだ。勘違いしてはいけない。君はまだサマルトリアの王子にすら会えてはいない。

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こちらは山王の沢北。直しをしない前提で最近は再びボールペン一発描きに戻している。目はミスってる。
それに、見て描けるならそれでいいじゃないか。以前はそれすらできなかったのだから。どんどん見てどんどん描けばいいんだ。そう思えるようになったのも2ヶ月の模写のおかげと言える。

この日記の一番最初に模写は飽きたと書いたが、それもいいことかもしれない。僕は自分の絵が描きたくなった。以前はうまく模写できればそれで楽しかったし満足だったが、今はどれだけうまく描けてもあまり楽しくない。だって細部にこだわってどこまでオリジナルに寄せていっても模写がオリジナルを超えることはないんだ。それってとってもつまらない。人真似はどこまでいっても人真似に終わる。
だから模写をオリジナルにできる限り似せる、という目的でやることはもうしない。僕にとって何の意味もないからだ。それこそスライムを倒し続けるのと同じことになってしまう。

振り返って考えると、僕にとって模写をする意味は先人の描き方を学べる、ということにしかなかったように思う。目鼻口、筋肉、シワ、影……どこまで描くのか、どこまで省くのか、人によって描き方が全然違う。それを学ぶという意味合いでは模写を続けたいと思う。

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近頃ジョジョの模写もよくするようになった。影の付け方が井上先生と荒木先生で全然違う。
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こちらは学年末のテスト範囲告知用に描いたもの。ベタは筆ペンで塗った。ベタ塗りの作業ってすごい大変なんだと分かった一枚。
そもそも僕はどうして模写を始めたのだろう?
それは絵が上手くなりたいと思ったからだ。その「絵が上手い」の意味も曖昧模糊としていたが、近頃はっきりしてきた。
僕にとって「絵が上手い」とは、決して人が描いた絵をそっくりそのまま描けるということではなく、自分の絵を自分の手で描けるということだ。それ以外にない。

だけどそうして自分の絵が描けるようになってどうするのだろう?絵が上手くなって僕は何がしたかったんだろう?

もちろん絵を描くこと自体の楽しみもある。それを人に見てもらうという楽しみもある。だけど、それだけじゃない。僕は表現の一手段として絵を習得したいと思ったのだ。もっというと僕はマンガが描きたかったのだ。大学生の頃、バスケのマンガが描きたいと思っておもむろにスラムダンクの模写を始めたのがそもそもの始まりだった。
もうあれから10年以上が経って、僕も30半ばを超えてしまったけれど、あの時の気持ちがいまだに心の奥底でくすぶり続けていたのだと今頃になって気づいた。
それが2ヶ月の模写を通じて得られた一番嬉しく、一番重要な気づきであった。

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荒木先生の絵なら第4部の頃が一番好き。人間の快感に根差していて描いていてとても気持ちいい。僕も自分の絵と呼べるものを手に入れたい。
どんな下手っぴでも、無茶苦茶でもいいから今年は何か一つ、マンガの作品を作ろうと思う。36歳というのは描くことを諦める理由にはなるまい。
マンガができたならこのブログにもアップできたらいいなと思っている。


なお、大学生の頃描きたかったバスケのマンガは、当時マンガを諦めた僕により12万字を超える小説に書き換えられた。児童文学賞の一つでも取れれば、と思って小学館の賞に応募してみたがうまくはいかなかった。

何も賞を取れなかったがしかし、その作品は僕にとって一番大事な宝物となった。僕が物語を作り始めるきっかけを作り、そして長い物語を作り上げたという自信を僕に与えてくれた。その作品がなければ、僕はもう物語など作っていなかっただろう。