ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。毎週月曜日21時更新です。その他のタイミングでも時々更新します。

見つけるのに半分、やり遂げるのに半分

僕の37年間の人生がこのようになるとは思っていなかった。

もともと大学在学中から児童小説や童話を書いていた。それがメシのタネになることを期待していたが、足がかりさえ作れなかった。だけど結婚してからもずっと書いていた。

ひょんなことからこのブログを始めることになった。結婚して一年ちょっと経った時期だった。どうしてだったんだろう。今はもう思い出せない。何か新しいことをしたかったのかもしれない。

ブログは楽しかった。もともとmixiでずっと書いていて、割とこういうことが自分の性分に合うとも思っていた。このはてなブログを始めたことで世界が広がった気がした。

自分の世界を広げようとさらに新しい授業に挑戦した。授業のプリントに僕のイラスト(主には授業に関連付けられた漫画の模写)を入れ始めた。これは今でも続けている。漫画のマネっこは大学時代よくやっていたので、有名な先生の絵を上手に描けた時はすごく嬉しかった。そういう楽しみがなければこんな七面倒なことは続いていなかったと思う。

だけど人のマネだけしていたのでは飽きる。それでなんとなく自分の頭の中にあるものを下手くそな絵でマンガにし始めた。白黒だとあまり見てくれる人がいないのでコピックで色まで付け始めた。
次第にもっとたくさん漫画を描きたいと思うようになった。

それは天意にのっとることだったんだろうか。
なんだかわからないけど自分勝手なヘタクソな漫画を描き始めた時に「あ、これ一生続けられそうだな」と思った。自分だけの小さな宝物を見つけた気分だった。

有名になりたいとか、お金をたくさん稼ぎたいとかいう気持ちはもちろん僕にもある。だけどそんなことよりも少しの楽しみと興味関心を持ってボチボチ続けられる「良いもの」を僕は僕の中に見つけた。

僕はもともと何がしたかったのか。児童小説を書いてる時もずっとわからなかった。漫画を描き始めたことがトリガーとなって、最近それがはっきりつかめるようになってきた。それは「これがしたい!」というような意欲溢れるものではなくて、「ああ、僕は人生でこういうことをすればいいのか」というような静かな衝動である。

その静かな衝動はもしかすると、まだ成長する余地が自分に残されていると知ったときの喜びであったかもしれない。

30代後半を迎えて人生がどんどん楽しくなってくるなどとは思いもよらなかった。20代の人生設計では今頃僕の書いた児童小説がバカ売れして、漫画化されて映画化されて重版に継ぐ重版で、フェラーリ乗り回して、マティーニにコニャックにドンペリに、ハワイのビーチで両手に女性をはべらせてる予定だったんだが。
だけど今の人生の方が随分いい。未完成のままがいい。

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20代に想像してた僕の37歳。
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現在の僕(37歳)。
最近では嫁さんと共同製作で絵本を描こうかなんて話も出ている。話が出ているどころか大いにマジだ。来年絵本の賞に応募するか、あるいは講談社に持ち込みに行きたいと思っている。
題材はいくらもあって、すなわち僕のこれまで書いてきた童話を絵本にする。そんな風に今までやってきたことがからまりあってやりたいこととして出てくる。

自分の作ったストーリーを自分で絵本にする。そんなのできっこないと思っていた。でも結局できないのではなく、やろうとしてないだけだったんだ。
「世の中のほとんどの問題はできるかできないかではなく、やるかやらないか」
嘘だと思ってたその言葉はきっと本当なんだろう。

同時に、やらなかったということは、それがやりたくなるまで切実になってなかったのだとも思う。やりたくなるかどうかは全く運命によるとしか言いようがない。


父はよく「人生でやりたいことを見つけるのに半分、それをやり遂げるのに半分、そのように考えればよい」と言っていた。
その言葉が今、僕の友となっている。

今は静かな衝動にのっとってやるべきことを淡々とやりたい。