ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

高知県南国市に行った(2020.3.24~3.25)

すみません、備忘録にちょっとだけ書こうと思ったら例のごとくめちゃくちゃ長くなってしまいました…。もし興味があれば読んで下さい。


昨年11月に僕は自然気胸という肺の破ける病気にかかり、入院及び手術をすることになった。自然気胸自体はもう四度目で慣れていたつもりだったが、なかなかどうして人間健康になると病気だった頃のことを忘れるようで、つまり病気というものは慣れないしつらいということを再認識させられた。

随分多くの人に心配して頂いて、お見舞いを頂いたり、退院してから食べたことのない高価な料理(いわゆる懐石なるモノ)をご馳走になったりした。

父の友人の中にNさんという、懇意にさせて頂いている人がいる。その人は東京で紙屋さんをしているのだが、あちこちに工房を持っていて、僕が北海道で仕事をしているときに北海道の工房に寄せてもらったり、その後プータローをしているときには新潟の工房に父と呼んでもらって一緒に仕事をさせてもらったりした。嫁さんと結婚したての頃、突然二人で東京のお店に押しかけて店の中でしこたま酒を飲ませてもらったこともある。営業中だったのに無茶苦茶な話である。

そんなわけでこちらとしては30以上も歳の離れたNさんと随分仲良くさせて頂いていると勝手に思っているのだが、父がそのNさんに僕の病気のことを伝えたようで随分心配をかけてしまったらしい。退院したらその方の故郷の高知へゆっくりしに来ないかとお誘いがあった。春の彼岸の頃に高知に帰るから期間中に一度来ればいいと。喜んで行かせて頂きますと返事をして、しかし一人では何かと心もとないので嫁さんにもついて来てもらうことにした。


3月24日は8時過ぎにレンタカーを借りに行くところから始まった。当初電車で向かうつもりだったが、Nさんの故郷は高知は高知でも電車で行けるような場所ではないと知ってレンタカーで向かうことにしたのだ。それにレンタカーの方が色々自由に動けて良い。
レンタカーは軽自動車で48時間に保険がついて12000円ほど。高いのか、安いのか?でも最近の軽は燃費もいいし、ETCもこの日のために申し込んだので二人電車で行くよりは安くつくかもしれない。

コンビニで朝ご飯を買い込んで朝9時に大阪を出発。道中は嫁さんに色々な曲をかけてもらいながら快調に進む。僕らが旅行に出かける日には珍しく、やたら快晴だった。途中神戸で渋滞があったものの、淡路島を渡り、徳島に着いたのが12時頃。徳島の吉野川というところで休憩してるとNさんから連絡があり「昼飯を用意しているから飯は少し腹に入れるぐらいで」とのことだった。
その時の我々はメチャメチャに腹が減っていて、多分Nさんの家まであと1時間半はかかるであろうことが予想されたので、吉野川のSAで徳島ラーメンを一杯だけ頼んで二人で分け合って食べた。

高知県の南国市に入ったのが予想通り14時頃。そこからはNさんに事前に頂いていた地図を頼りに行く。何でもナビは絶対に違うところに連れて行こうとするからアテにするなとのこと。なにそれ、樹海なの?
地図には公園やら橋やら出てきてそのままの通りに進んでいくわけだが、最後がどうも意味不明で、工事現場が見えてきたらそこから集落に入る、と書かれてある。そして地図の通り工事現場が出てきたわけだが、一体どこをどう行けばいいのだろうか。目の前にはとんでもない斜度の工事車両用っぽい急坂があるだけなのだが…。
嫌な予感がしてNさんに電話をかけ聞いてみるとまさにそこを登ってこいとのこと。しかもただ登るだけでなく、途中にあるヘアピンカーブをクイッと曲がってこいとのこと。そうして竹林の中を通り抜ければ集落に出るらしい。
豆腐を積んでない状態の藤原拓海の全開ドリフトでもそのヘアピンを曲がりきることは難しいであろうと思われたので(頭文字D2巻参照)、僕は少し上の広いところまで出て、車を転回させてそのヘアピンを難なく攻略した。

そうして竹林に囲まれた狭い道を通って山を半周ぐるりと回るとまるで桃源郷のように、人間社会から隔絶されたのどかな景色がそこに広がっていて、Nさんは先の方で元気に手を振っていた。仙人のように見えた。
家に招き入れられて、あぁこの人の家はこういう匂いがするのだったと思い出した。家の中にたくさんの和紙が張られていて、独特の懐かしいような香りがする。家の脇にはユスノキが生えていて、その根元の石垣にはテッポウユリがきれいに咲いていた。
お昼にはカツオのタタキとお刺身をしこたま頂いた。ニンニクをたっぷりのせて食べるカツオのタタキはうまい。

その集落の人は皆同じ姓で、つまりは皆血縁関係にあり、旧正月の時期と秋の彼岸の頃に近くの陣社に集まりお祭りをするのだそうだ。その神社を見せてもらう。小川を渡り、近くの山を少し登るとどでかいヒノキやらスギやらカゴノキが出てきて、古びた社がひっそりと建っていた。その後ろにはどでかい岩。かつてNさんは僕の父とそのどでかい岩を登ったことがあるようで、岩の上にはタヌキの巣があったそうな。

その後Nさんの一族の話を、親族の方のお家で少し聞かせて頂いて、一族の歴史に関連してNHKに出たときの映像も見せてもらった。歴史的に400年はさかのぼれる家系であるようだ。僕には非常に興味深い話だった。

その場で夜にNさんの家で宴会を開くことが決まった。少し時間があったので僕と嫁さんは近くの温泉まで車で行くことにした。
温泉と言って、どちらかというとスーパー銭湯のような感じで、運転で疲れていたので広々したところでゆっくり湯に浸かれるのはありがたかった。

温泉からの帰り、アサヒスーパードライを半ダースだけ買って帰る。一応来る際に手みやげとして大阪のお酒1升と甘いお菓子を持ってきていた。大阪のお酒はもともとは秋鹿を持って行くつもりだったが、梅田の阪急で山野酒造という酒蔵がお酒を販売していて、そこの代表的なお酒の「片野桜」は初めて聞く名前だったので、こちらの方が面白そうだと結局片野桜の純米吟醸を買って持って行った。なお大阪の「かたの」の正式な名称は「交野」である。

宴会にはNさんの親族のおじさま二人(だいちゃん、けんちゃん、共に70代)も参加してのっけからすごいスピードでビールが消費されていった。僕の嫁さんのお母さんの故郷は九州で、新婚の頃嫁さんの親族にあいさつに伺ったところ、飲めや飲めやの大盛り上がりでものの見事につぶされてしまった経験がある。薄れゆく意識の中で嫁さんのいとこのお姉さんが、まるで永久機関のようにコップになみなみと酒を注いでは飲み干すという一連の動作を繰り返していた。僕はホテルに送っていただく親類の車の中でゲロを吐いた。以来九州や四国でも南の出身の方の前では「酒はあまり飲めない」と言うことにしようと思った。

ちなみにNさんも恐ろしいような大酒飲みである。以前日本酒を3人で6升空けたという話を聞いた。実際に僕は一緒に酒を飲んでいてNさんが酔ったところを見たことがない。体の構造の違う人間は実際いるものだ。
まあ、そんなわけで酒は飲めるかいとNさんの親族の方(だいちゃん)に聞かれて、先の通り答えたわけだが、そのおじさん自身もガブガブ飲むし、同じようなペースで僕にビールを勧めてくる。無下に断るのも悪いし、まあビールならいいかと勧められるまま飲んでいたらあっという間にビール350×6本と500×6本が空いてしまった。

ふと見るとNさんは乾杯の時ちょびっとビールを飲んだきり酒を飲んでいない。親族の方がコップに酒を入れようとしても断っている。父から噂は聞いていたがどうやら酒はやめたというのは本当のようだ。昼間に少し話を聞いてみたが、きっかけは別に体を悪くしたとかではなく(メチャメチャ大酒飲みなので多分酒は体に合ってる)、若い頃からあまりに無節操に酒を飲みすぎたことが原因だという。つまりは何も考えずに13とか14歳ぐらいから60年間酒を飲んできて、ふと立ち止まって考えることがあった。何のために酒を飲んでるんだろうかと。結局は酔狂を求めて酒を飲んできたわけだが、果たしてそれは必要なのだろうかと。そうしてうんと考えた結果やめることにしたという。
ただ、乾杯の1杯だけは場の空気を乱すので付き合うことにしているらしい。

普通なら乾杯の1杯を飲めばもっともっとと酒を求めてしまうものだが、Nさんはその乾杯の1杯すら少し口をつけただけでまだコップにはビールが残っている。一人頭2升の酒を飲んでた人とも思えない。恐ろしいような自己抑制である。
翌日聞いてみたら酒はやめたと言っていながら飲んでしまうと、自分で自分が嫌になる。それが嫌だから絶対に飲まないと言っていた。

うちの父などは時折、酒を飲んでも飲まなくても近頃同じになってきた、などと酒をやめた風のことをのたまいいつつ結局ジャンジャン飲むし、一緒に仕事するときは昼間から(時には朝から)僕に勧めてくる。飲んでも飲まなくてもいいなら飲まなくてもよいように思うが……とはその時いつも感じることである。

宴会にてビールがなくなったところで僕の持った来た日本酒に酒が切り替わった。Nさんはもちろん飲まず、一人の親族の方(だいちゃん)に飲んでもらったが、しばらくは話に花が咲いて酒の感想を何も言ってもらえなかった。コップに2杯ほど飲んだところで「しかし、この酒はうまいなあ!」とだいちゃんは思い出したように言った。「お前も飲め」とだいちゃんがもう一人の親族の方(けんちゃん)に片野桜を勧めたところ、けんちゃんも「なるほどこりゃ優しうて、まっこと飲みやすい酒じゃ」と言った。僕も一緒に飲んでいて思ったが確かに美味しいお酒だった。やたらフルーティー過ぎることもなく、まろやかな甘みとかすかに香る米の匂いが僕の好みとも合致していた。
聞くと高知で普段飲まれる日本酒は15度とかいう生やさしいものではなく、20度近くもしくはそれ以上の度数のものらしい。それって日本酒なのか…?

ともかくそういうわけでNさんのご親族のお二方には片野桜は随分と気に入って頂いて、ほぼ三人で1升空けてしまった。途中僕の嫁さんに対するぶっちぎりのセクハラ発言などあったが、ぶっちぎり過ぎててかえっていやらしさがなく、とても楽しいお酒だった。何よりNさんも、親族のお二方も皆、楽しそうだったのが嬉しかった。
相当量飲まれただいちゃんはしきりに「メッタ、メリヤス、メリケンコ、俺ぁこんな人生もう嫌だ!」と何かの暗号のように叫んでいた。生まれた場所でずっと生き続けた人間の叫びを聞いた気がして、なんだか少し切なくなった。

千鳥足で帰って行く二人をNさんと、嫁さんと見送ると空には北斗七星と北極星がきれいに瞬いていた。

翌日は朝から嫁さんと神社まで散歩をして僕達も神社の後ろにある馬鹿でかい岩の上に登ってみた。下からは分からなかったが岩の上はメチャクチャ太い孟宗竹が生え揃っていて清浄な心地がした。僕達が岩の上まで登るとキビタキのような鳥が飛んできた。しかしタヌキはいなかった。

Nさんの家に帰って朝餉を頂く。それから少し話をした。
何故そんな話になったかは思い出せないが、Nさんは「今は多様化の時代と言うけれど、自分から見ればむしろ世界は画一化しているように思える」と言った。皆同じような服を着て、同じような音楽を聞いて、同じようなことをして遊ぶ。好まれるお店や商品も非常に限定的になってしまって、それはつまり人間の欲望が画一化しているのだと。

言葉は違うが、何というかこうパンク感がないなぁ、というのは僕が日々高校生を見ていてよく思う。見せかけの自由を与えられて、非常に不自由な方向(画一化)に持って行かれてるのではないか。その先導の一端を担っているのは我々なのだ。自由に乱反射する分子は管理にとって最も邪魔な存在だ。できる限り排除するか強制しようとする。教育の意味や本質はそこにあるのだろうと思う。今はどれだけ無茶苦茶だと言っても、枠の中で乱反射「させられて」いるような格好なのだろう。

少しだけNさんとそんな話をした。でも僕も、あるいはNさんも、本当は枠を破って乱反射するものを見たいと願っているのだと思う。


話はそれからその日(25日)の予定に移った。僕は前々から高知に行くなら空海が体の中に星を飲み込んだ時見た風景を同じように見たいと思っていた。すなわち室戸岬の空海の洞窟に行ってみたかった。Nさんにそのことを話すとそれはいい、室戸岬は高知で一番の場所だ、と言った。

高知のお茶とみかんをおみやげに頂き、お礼を言ってNさんの家を出発する。桃源郷を脱出する最後の瞬間までNさんは手を振っていた。


嫁さんは高知には来たことがあるが、桂浜に行ったことがないというので、室戸岬に行く前にまず桂浜に寄ることになった。せっかく車で来ているのだし、名所を見ておくのも悪くない。

よさこい節を歌いながら軽快に車を走らす。
「みませ見せましょ浦戸を開けて
月の名所は桂浜」
その日も天気が良く、気分は最高だ。

桂浜は以前と特に変わった様子はなかった。ただ、桂浜のど真ん中に水族館はなかったような気がするのだが、記憶違いだろうか。水族館は営業していたが人はあまり入ってない様子だった。というか桂浜自体に人が少ない。
桂浜に降り立ったと言っても特にやることもなく、とりあえず目に付いた浜の西の端にある鳥居まで登りオーストラリアの方角を確認した。龍馬記念館にはかつて行ったことがあるので今回は省略。
その後龍馬像の隣で写真を撮り、駐車場近くのお店でお土産を買って桂浜を後にした。お土産は主にかつお節を買いまくった。

休憩がてらしばし車の中で眠ってから桂浜から室戸岬へ向かう。途中もしガソリンスタンドが無かったら、と思い桂浜近くのガソリンスタンドでガソリンを満タンにしておいた。かつて北海道に仕事で行った時、人気の無い荒野でガス欠になりそうになって非常に焦った記憶がある。が、今回に関してはその心配は杞憂に終わった。途中いくらもガソリンスタンドはあったのだ。そういえば桂浜からしばらくは右手にずっと海が見えていて、Nさんの工房へ向かう北海道の道に少し似ていた。それで不安になったのかもしれない。

桂浜から室戸岬までは2時間ほどだった。何故だかその区間運転してた時の記憶があまりない。勤務予定の学校から電話がかかってきたことだけは覚えていて、何でも2020年度から講師の審査が厳密になるらしく、禁固以上の刑に処せられていないか確認するため本籍地のわかる書類を持ってきてくれと言われた。もしかしたらそういう事例があったのかもしれない。

室戸岬が見え始めた時は、そんなもの見たこともないのに「うわぁ、エアーズロックみてー」と思った。海の先にドーンと棒状に大地が延びている。雄大っつーか、雄渾っつーか、とにかくダイナミックっすねー。
近づくと岬の上に登っていくジェットコースターみたいな道路が見えた。いや、ジェットコースターというよりはウォータースライダーと言った方が近い。道路がむき出しになって宙に浮いているのだ。とんでもねぇなありゃあ、と思いつつ空海の洞窟を探す。嫁さんは室戸岬には来たことがあるらしく、空海の洞窟はもう少し先ではないかと言った。嫁さんが室戸岬に来た時には星野リゾート「ウトコ」に泊まったそうな。室戸岬の星野リゾートのベッドは寝転ぶとまるで海の上に浮かんでいるような気分になれる仕様らしい。シャレオツっすねー。

室戸岬をぐるりと回る途中駐車場があって、そこに室戸岬のマップを示した看板があったので確認のため車を停めた。看板によると嫁さんの言うとおり空海の洞窟はもう少し東のようだ。
駐車場のうっそうとした茂みには黒や白や猫が何匹かいて、気だるそうにしていた。海の際まで山、いや崖が競っていて、人間が住むのもなかなかつらそうな場所だが、ここに住んでるのだろうか?僕たちが近寄っても逃げもせず、かといって興味を示すわけでもなく、じっとしていた。

室戸岬はぐるっと回るだけならコンパクトなつくりで空海の洞窟もすぐに見つかった。すなわち御厨人窟・神明窟である。僕たちの前にご夫婦がいらっしゃったが、その二人はすぐに立ち去り後は僕たち二人だけになった。目の前には岩肌がむき出しで垂直にそそり立つ崖。その崖に穴がぽっかり2つ空いている。左側が空海の生活した洞窟で、右側は空海の修行した洞窟だという。洞窟の前には柵がしてあり、ヘルメットが大量に入った箱が置かれていた。落石の可能性があるためヘルメットを必ずしてください、とのことだった。
ヘルメットをかぶり、洞窟の中に入っていく。右側の洞窟には何も感じなかったが、左側の洞窟はすごく怖かった。何がと言われると何なのか説明できないが怖い。というか気持ち悪い。そしてくさい。洞窟の奥には祭壇があってその線香の匂いなのだろうと思うがそれだけではない。別の匂いが混じっている。何かこう獣のような匂いだ。さらに広い洞窟のパッカーンとした間の匂いとでも言うのだろうか、それらが相まってすごくくさい。そのくささが気持ち悪さに拍車をかけている。
本来の目的であったはずの空海の洞窟だが、結局洞窟内には1分もいなかったのではないだろうか。洞窟を出る瞬間の自分たちのいる闇の世界と、外の世界、海と空の明るさの対比は見事で、まるで僕たちが目の中にいるみたいだった。

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こんな感じの「目」。
空海のいた頃から比べて今の御厨人窟の地形は土地が隆起しているらしく、空海の生きていた頃は洞窟から出るとすぐ海だったようだ。あるいは洞窟内まで海水が侵入するような状態だったかもしれない。言わばあの洞窟に空海は自らを閉じ込めるような格好だったと思われるのだが、空海も籠もることによって再生と増殖を果たそうとしたのだろうか。英雄譚でも偉人伝でもドラゴンボールでも、力が世に出る前には必ず籠もる時期がある。冬ごもりの熊も同じことで、冬一頭で穴に籠もった熊は春になると増殖を果たし三頭になって出てくる。日本には米や芋を穴に籠もらせる風習もある。そんなことを少し考えた。

空海の洞窟を後にして、Nさんから室戸岬には珊瑚の化石が落ちてると聞いていたので下に降りてみることにする。室戸岬は遊歩道が整備されていて、その遊歩道も亜熱帯ゾーンとか深海ゾーンとか細かく区分けされて何やら楽しそうである。全部見て回ったら30分ほどだろうか、全部見て回るのはしんどいから中岡慎太郎像から少しだけ東側に見て回って飽きたら帰ろうということになった。

が、いざ歩きます始めてみると見たことがないような海岸ですごく面白かった。とにかくあちこちにオバケみたいな岩がニョキッと出ている。

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こういうのがニョキニョキしてる。
オバケみたいな木もあって、何というか人為の介さない自然の作った摩訶不思議ワールドといった印象が強かった。また非常にパワフルな場所だとも思った。室戸岬ではいまだに土地が隆起し続けているそうな。
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フロントミッションのラスボスなの?
家のメダカの鉢に入れられるような流木も探してみたがめぼしいものはなく、初めて珊瑚の化石を見つけた時は嬉しくて手に取ったが、すぐにそんなものは室戸岬中にゴロゴロしていると気づいてそっと元の場所に戻した。

歩いていると日本だという感じもあまりせず、かといってどこかに似ているといったこともない。とにかく奇妙な感じがして彼岸との境だと言われれば信じてしまいそうな、そんな場所だった。空海がここを選んだのも何だか納得できる。

結局30分は歩いたのではないだろうか。始終楽しくてNさんが室戸岬は土佐で一番の場所だと言ったのも理解できた。室戸岬は僕たちの高知旅行のハイライトになった。

そのまま帰っても良かったが、室戸岬に着く直前に見たあのウォータースライダーみたいな道路を登ってみたいと思った。道路の名は「室戸スカイライン」のはずなのだが、入口の標識がなく、しかし入口は要はウォータースライダーの出口なのでそこから登り始めた。初手からすごい斜度だ。10%近くあるいはそれ以上の坂道でグングン登っていく。車で坂道を登っていて怖いと感じたのは始めてだった。落ちたら絶対死ぬじゃん。
同時にカーブを曲がる度に見える、太陽に照らされた海が輝いてとてもきれいだった。

一番上まで登り切ると展望台があって、そこにも猫がいた。今度は10匹以上いて、猫の家もちゃんとあった。遊んでいる猫に近づくと特に警戒する様子もなく少しなでさせてくれた。他の猫は軒並み寝ていた。昼下がりの室戸の柔らかな日差しが気持ちよさそうだった。

展望台は恋人の聖地というんだろうか、全国各地にあるそういう場所になっていて、南京錠がいっぱいかかっていた。またどこの恋人の聖地もそうであるように、そこの南京錠も軒並みさびていた。

猫にお別れを言って室戸岬を後にする。帰りは徳島まで下道で行き、徳島から淡路へ、淡路から大阪へ。

室戸岬を出発してすぐに嫁さんは寝た。大体車が走り出して15分ほどすると眠くなるらしく、なんとなく気配で分かる。

室戸岬から徳島まで道路は海沿いをずっと行く。海と山の距離が近い。日は傾いて、山の切れ目に残照が当たり集落はオレンジ色に染まっている。車の中は音楽もラジオもかからず静かだ。嫁さんは隣で寝ている。

徳島でタンタン麺を食べ、淡路島のSAではスターバックスコーヒーを飲みつつ夜中の明石海峡大橋を眺めた。大阪に帰ったのは日が変わる前だった。

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素敵な旅になりました。